【石川県の特産物とかぶら寿司と輪島塗と前田利家について】

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石川県の特産物は?

石川県の特産物として有名なのはかぶら寿司や輪島塗ですが、その他にも加賀友禅や能登牛など伝統工芸品や石川県で生産されている食材も多くあります。伝統工芸品としては先ほども書いた輪島塗や加賀友禅もありますが、昔から評価が高い九谷焼や最近はあぶらとり紙も品質が良く、金沢箔としても有名なことから金箔が付いたあぶらとり紙もあります。

日本海があることからカニやエビや海苔など海産物も多く、海水をくみ上げて作った塩も特産物として有名で、ミネラルたっぷり含まれているだけではなく自然の甘みも感じます。この他にはなすやキュウリやれんこんなど地元で生産された加賀野菜がありますし、最近では品質の高いぶどうが生産されていることをマスコミに取り上げられていることから、果物の生産にも力を入れています。

伝統工芸品や食材以外には三大菓子処といわれるくらいに和菓子文化があることから、300年以上前からある長生殿や金花糖や五色生菓子など多くの和菓子があります。昔からある伝統文化を現在まで形を崩さず生産販売するだけではなく、今風にしてアレンジした食べ物や新しい洋菓子も考案していますので、今と昔が同時に触れ合うことができ楽しめます。

かぶら寿司とは

かぶら寿司とは江戸時代から伝わるならずしの1つで、石川県の郷土料理でもあります。ちなみにかぶらとは一般的にカブのことを指しますが、昔のかぶら寿司には郷土野菜として金沢青カブを使っていて、武士など身分の高い人が食べていました。作り方は11月から1月の間に製造し、予め切り込みを入れたカブを塩漬けにしたあとで、別途に塩漬けにした鰤の切り身や昆布や千切りにした人参を挟み、米麹を加えてから重石をして2〜3週間くらい漬け込みます。



米が発酵することにより甘さや酸味や旨味となってきて、そのままでも食べることができるように仕上がります。また富山県の一部でもかぶら寿司が伝わっていたことから、カブの切り方もいちょう切りにして鰤ではなく鯖を使っていたりなど、地域によって食材や切り方にも違いがあります。年初めにかぶら寿司を贈る風習があったことから正月を祝う料理として知られていましたが、徐々にその風習が廃れてゆく反面で一般家庭でも作るようになってきました。現在はマスコミにて取り上げる機会があることから、飲食店だけではなく贈答品としても扱っており、一般家庭でも作って食卓に並べていますので現在でも受け継がれている料理です。

輪島塗とは

輪島塗とは伝統的工芸品として国に認められた漆器であり、石川県輪島市で生産しています。特徴としては予め形が整えてある木地の上に、生漆と米粉を混ぜたものに布を貼って補強をしてから、生漆と米粉と焼成珪藻土を混ぜて作られた下地を何層も塗り、厚くすることによって丈夫に仕上げています。

輪島塗の歴史としては、能登半島の三引遺跡から6800年前の漆器として発見されるだけではなく、平安時代や室町時代に造られたものも見つかっていますので、その時代からすでに輪島塗があったということが分かります。現在の輪島塗のスタイルが確立されたのは江戸時代からで、海路や陸路での行商できて全国的に流通し、漆器として丈夫だったことから当時から評判が良かったです。



この時代から蒔絵と沈金の技術が習得されて施すこともできたことから、見た目の華やかで贈答品や位が高い人たちが使われていました。明治時代に入りますと一時期は輪島塗の生産が落ちていましたが、国外の展覧会に出展するなど宣伝活動をすることによって、廃れることがなく世界初の漆器美術館を建てるまでに至ります。現在でもシンプルな単色の輪島塗だけではなく、沈金やちょっとした絵柄が描かれたものもありますので、お土産に購入することもできます。



尚、NHK大河ドラマで「まれ」という番組がありました。その主人公である女の子「まれ」の旦那や輪島塗職人だった事から、輪島塗がテレビの効果もあり知名度が大幅に上がりましたし、商品も非常に注目されるようになりました。

前田利家とは

前田利家は加賀藩の初代藩主であり、豊臣政権においては五大老の1人として豊臣氏を支えていました。生まれは尾張国にある荒子城当主であった前田利春の子として生まれ、青年時代は織田信長に仕えていました。その後は、柴田勝家に仕えながら北陸地方の各地に転戦し、勝家から能登一国23万石を拝領することによって大名になることができました。



本能寺の変にて信長が明智光秀に討たれてしまい、信長の後継者争いにて勝家と後に豊臣秀吉になる羽柴秀吉が対立したことで、賤ヶ岳の戦いでは最初は勝家に仕えるものの前から秀吉とも旧交関係があったことから、悩みぬいた後で秀吉側に仕えることになりました。最後は勝利へと導くことになり、秀吉が政権を握る頃には宿老として全国制覇に向けて従軍し、五大老まで出世するのと同時に秀吉の子でもある秀頼の後見人役としても命じられます。



五大老に出世した時には、利家は体力の衰えもあり隠居を考えていたのだが、秀吉に反対されてしまい死去後に秀頼が主になっても、そのまま後見人として仕えていました。秀吉が亡くなった後すぐに徳川家康が天下を取ろうと遺言を破り、利家が反発することによって両者騒動となったのだが、利家は病に掛かって体調が悪くなってしまいそのまま回復せず亡くなってしまいました。もしかして、前田利家があと10年生きていたら徳川幕府は誕生しなかった可能性もあるのではないでしょうか?

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石川県の特産物やかぶら寿司や輪島塗りや加賀100万石の前田利家などを紹介します。

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